モーガン・スポーツカー選手権

Home / Announcement / The Morgan sports Car championships

The Morgan sports Car championships

The Morgan sports Car championships
1985年1月1日

1985年、プラス4はフィアットのエンジンを搭載して再登場し、その2年後にはローヴァーの希薄燃焼式2リッターOHCエンジンに載せ換えられた。その年には、創業者の孫のチャールズ・モーガンが常勤として会社に入った。ロンドンでモーガンのエージェントを営んでいたブルース・ステイプルトンは、ポルシェやランチアが走るインターナショナル・スポーツカー・レーシングのグループ4で、勇敢にもモーガンをウイナーの列に加えようと試み、ロンドン‐シドニー・マラソンでは初期のプラス8をオーストラリアまで12000マイルも走らせ、いくつものステージで最速タイムを記録した。ピレリ・マラソンでは、リック・ボーンがモーガン・プラス4スーパースポーツで総合2位になり、1950年代の国際ラリーで活躍したプラス4の成功をよみがえらせた。

モーガンのオーナーに自分のクルマでレースをするチャンスを与えようと考えた、ワンメイクシリーズのモーガン・スポーツカー選手権が1987年に始まった。この年間選手権は急速に発展し、309台のグリッドが普通の光景になった。このシリーズの成功はモーガンだけのヒルクライム選手権を生み出し、ヨーロッパではドイツのモーガン・オーナーズクラブに、コンチネンタル・モーガン選手権というレースシリーズを始めさせることになった。1987年から1993年まで、グレアム・ブライアントとマシュー・ヴーアのプラス8は、750モータークラブのロードスポーツシリーズやワンメイクレースで、モーガンが他のメーカーに対してどれだけ速いかを一貫して証明した。

モーガンは1980年代と'90年代を通して、4/4はエントリーレベルのモデル、プラス4はもう少しパフォーマンスが欲しい人向け、非常に速いプラス8はトップレンジモデルとして、スポーツカーのクラシックレンジを作り続けた。1997年、量産モデルは徹底的にオーバーホールされ、新しいアルミのスーパーフォームフェンダー(4/4以外のすべて)の標準化、長くなったドア、エアバッグを装着できるフェイシア(ダッシュボード)、4.6リッターV8仕様の登場、全体の素材の全般的な改良などが行われた。

Back
Recent Posts