サイクルカーグランプリ

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Cyclecar Grand Prix

Cyclecar Grand Prix
1913年10月20日

最初はまったくのファミリービジネスだった。H.F.S.モーガンの兄妹のドロシー・モーガン嬢は耐久トライアルの常連で、モーガン・スリーホイーラーに乗ってたくさんの一等賞を獲得した。1913年、1台のモーガンが名高いシェルスリー・ウォルシュ・ヒルクライムに出場して、22mphの平均速度で最速タイムを記録した。そしてその年の終わりには、モーガン・ラナバウトはどんなサイクルカーやライトカーよりも多くの耐久とスピードの賞を勝ち取っていた。

 

初期のころのもっとも注目に値する勝利は、フランスのアミアンで行われたインターナショナル・サイクルカー・グランプリでのW.G.マクミニースのものだった。マクミニースとパセンジャーのフランク・トマスは、ヨーロッパの多くの4ホイーラーを敵に回して勝った。これは、片方のフロントタイヤのチューブを交換するための停止を強いられたにもかかわらずだった。

 

W.G.マクミニースはサイクルカー誌の編集長だったので、その成功はモーガンに大々的なパブリシティをもたらした。イベントの後、彼は自分のクルマをジャバーウァク・オブ・ピカルディと命名し、この優勝車をベースにしたグランプリというニューモデルが、モーガンのモデルレンジに発表された。また、この勝利はモーガンへの注文をさらに増やしたので、ウスター・ロードのファクトリーは、最近の拡張にもかかわらず、需要に対応するには小さすぎることがすぐに明らかになった。

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